南河内桜ウォーク

早くも満開を迎えた各地の桜。
今年は勝持寺に行こうと思ってたけど前日に調べたらどうもまだ満開ではないようなので、これまた桜の時期に行きたかった弘川寺に行ってついでに周辺のスポットも見物することに。

2018年3月30日


10:50

基点は近鉄富田林駅から金剛バスに乗って20分ほどの白木バス停。弘川寺近傍まで行くバスは本数が少ないので、数十分待つよりも適当なところで降りて到着時間を巻く作戦です。
この先飲食店のないところを延々歩くので、ファミマで補給。



今年は桜が咲くのも早く、既にほぼ満開。
道端で写真撮ってたらちょうど風が吹いて雲一つない青空に舞い散る花びら。

結論から言うと白木バス停から弘川寺まではアップダウンのある道を30分ほど歩かされます。歩くのが好きな人以外は30分待って河内行きのバスに乗りましょう。

今日の目標は弘川寺と太子町の叡福寺に行くこと。他はノープランどころがどこまで歩くかも考えてませんから行けるところまで行きましょう。



菜の花も咲いてて春色小径。
思った以上に山間の道です。思えばこの裏はすぐ葛城山。大阪の中でも自然豊かな地域。



11:25

弘川寺。期待通り桜は満開。見ごろとあって花見客で賑わってるものの、山間の寺とあって激混みではなくてちょうどいい感じ。

もはや説明不要な西行入滅の地、弘川寺。命日は3/31だから明日来たら丁度良かったけど惜しかった。
開基は役行者で空海もここで修行したことがあるということで、東方を知ってから一度は来てみたかった寺です。桜の時期に来ようと思ってたけどなんだかんだ来そびれてて5年越し以上の念願達成。



本堂の横の石段を登った先には西行堂。もっと桜に囲まれてるイメージでしたが、普通に杉林でした。
花粉症の方は絶対に行かないでください。

西行堂は西行が建てた庵というわけではなく、西行を慕ってここに辿り着いた似雲法師によって後年建てられたもの。西行の坐像が安置されています。



さらに登って行くと東方オタにはお馴染の西行の歌碑。

願わくは 花の下にて
     春死なむ
     その如月の望月のころ




西行墳。西行が埋葬されている墳墓です。文字通りリポジトリオブヒロカワ。
ここも桜が周りを取り囲んでて花びらが地面を覆ってるのかと思ってたけどそうでもありません。脳内で桜花之恋塚を流す準備までしてたけど。
弘川寺まで来て幽雅に咲かせ、墨染の桜じゃないのかよってのもありますが、桜花之恋塚の方が散り際の桜のイメージなんです。妖々夢だと結局満開になってないし。
でも桜花之恋塚はもっとささやかな桜の木が1本立ってるようなイメージで、むしろ死霊の夜桜の方が一面の桜並木なんだけど夜桜だから云々



でもこの辺なんかは完全に6面道中ですね。BGMはアルティメットトゥルース。
山道を登っていくにつれて頭上は開けていき、周囲は淡いピンク色に。



桜の木の隙間からPL塔を望む。それはともかくあべのハルカスめっちゃ高い。これには西行もびっくり。



西行庵跡。既に庵はないものの、周囲にはささやかな桜の木々。
この山の景色だけは西行の見た風景と変わらないのかもしれません…と上手いことまとめようと思ってこれ書きながら思った。
これほとんどソメイヨシノじゃね…?(※ソメイヨシノは江戸時代に品種改良で誕生)



4月入ってからじゃないと開いてないと書いてあった西行記念館。これだけ桜咲いてるし、もう開いてたりしないのか?と思ったら読み勝ちでした。
春と秋の短期間しかやってないので狙い撃ちしたかった。

門から記念館までの間の庭にも桜が咲き誇ってます。この建物と庭の配置、個人的に白玉楼の庭のイメージぴったり。



んで記念館。全国各地を行脚しながら多くの和歌を遺した西行の足跡が展示されています。
娘を蹴飛ばして出家した西行。関西をベースとして生涯に渡って何度も遠出をしたわけですが、徒歩しか交通機関がなかった当時旅しまくるってまあ物好きですよね。
そう思うと当時の旅って正に「身は華と与に落ちぬれども 心は香と将に飛ぶ」ような感じだったのかもしれない。数千円出せば身も心も飛び放題な現代に生まれてよかった。



弘川寺周辺に広がる弘川集落。この先ずっと歩いていくとR309に合流して水越峠に至る…実はこっち歩いて御所に抜けてやろうかとも思ってたけど、峠道に歩道があるか微妙だったのでパス。
何人かで来たら山道を歩くのもアリなんですが、単独登山はまだ抵抗がある。

12:27

ぼちぼち次の目的地へ。来た道をちょっと戻って北上していきます。あんまり大きい道が書かれてなくてよく分からないんですが、とりあえず北に向かえばいいらしい。
次の目的地は4kmほど先の磐船神社。迂回すると遠いので最短ルートで行きましょう。



と思ったらなんか舗装されてない農道みたいなのに誘導されたぞ???
ほんまに行けるんかいなと思いながらも、グーグルマップが誘導する通りに謎の道を歩いていく。



なんかすげー長閑。たまに畑仕事してる農家の人がいる以外は誰もいません。そりゃそだ。
畑の間をひたすら登って行くんですが、あんまり登って行くもんだからやっぱり不安。
よく見たら横の道路と農道の合流点に開け放たれたフェンスがあったから、道路側にあった看板を見てみたら「入らないで」的なことが書いてあんなあ…
なんも言われなかったけど出るか…ちなみに入った側にはフェンスや標識の類いは一切なかったことを記しておきます。



13:07

河南町の北西部の平石集落から太子町へ抜ける峠の直前に磐船神社への分岐点発見。たった1本の細い標識が立ってるだけでスマホ見てなかったら見落としてましたよ。
もしかして山道登らされる感じです?


想像以上に山道だった。もうハエみたいなの一杯飛んでるし最悪です。こんな道登らないと行けないとか聞いてないんですけど!



13:14

一気に駆け上がってなんとか登頂成功。もう汗が凄くて。



鳥居くぐろうとしたら足元の罠に掛かるところだった。
不用意に参拝しようとしたら感電します。恐ろしい神社。もちろん人間用ではなく害獣用です。境内の至る所に猛獣注意とか書いてあって不穏。そんなにヤバイのか?

正式には磐船「大」神社と言い、交野の磐船神社と同様に饒速日命を祀る神社。
由来も交野のと同じで饒速日命が天磐船に乗って降り立った河内国河上哮峯がこの辺りだからというもの。距離的にはだいぶ離れてるけどどっちが正しいかは不明。



境内の奥にある磐船。こうやって見ると古墳の石室にも見えるような。

小松左京の「果てしなき流れの果に」ではプロローグに葛城山麓の古墳が登場するんですが、この葛城山って勝手にこの近くの大和葛城山だと思い込んでたら、どうも地学的には和泉葛城山がモデルらしい。
でも役行者の伝承とか古墳は現実には大和葛城山にまつわるものなので、風景としてはこの辺りで合ってますね。
そんな理由で、大阪の南の山沿い一帯はなんとなくあの小説のごちゃーっとしたストーリーが集積されたイメージがある。

どこからともなく作業員みたいな格好の参拝者が現れたので、どこから来たのかと思ったら横にもうちょっとまともな舗装されてると思わしき道がありました。でも近道なので来た道を戻る。



13:42

さっきの分岐点に戻って峠を越えるとそこは太子町域。しばらく林の中を下っていくと急に視界が開けます。
奥の山のソーラーパネルみたいなのはぶどう園のハウス。太子町はぶどうやみかんの栽培が盛んで、そういや南大阪線乗ってても上ノ太子あたりは車窓は一面の農園ですもんね。
弘川寺と太子町ってすごい離れてるイメージだったけど、こうして見ると意外と近い。



13:47

推古天皇陵。大小さまざまな古墳が点在する一帯でもかなり整備されてる古墳。ノーチェックでしたが、せっかく前通ったので見ていきましょう。
そういえば推古天皇は聖徳太子の叔母でしたね。今気付きました。



登ってみるとまた長閑な春の風景。一面の棚田の間に点々と咲く桜、まだ芽吹き始めたばかりの山、雲ひとつない空。典型的な日本の原風景。
大阪の街中から電車で30分もしないところにこんな景色が広がってるんですよぉ。今日ずっとこんな調子だけど全然飽きない。

お腹すいたので下のバス停で昼飯。
天皇陵に来た観光バスが狭いT字路に止まってて通ろうとする車が詰まってえらいことになってました。あの辺駐車場ないのかもしれないけど止められるのはさすがに…



さらに歩いて叡福寺が近づくとマンホールにも聖徳太子的ワード。
太子町の名前は聖徳太子の墓があることから。兵庫県の太子町を探訪しに来たことはあるけどこっちは初めてです。
聖徳太子のみならず、町内にある天皇陵の数は府内で羽曳野市と並んで最多。面積的には羽曳野の半分強なので、そりゃちょっと歩けば大きな古墳に当たるわけです。絶対コンビニより多い。



14:16

そんなわけで叡福寺に到着。弘川寺以上に桜咲いてて凄いです。でもここも住宅街の中とはいえアクセスよくないからか割と閑散としてて穴場。

別名は駅名にもなってる上之太子。中之太子は羽曳野の野中寺。じゃあ下之太子は?というと八尾の大聖勝軍寺。ああ、祖母ガマ邸行くときに見えるあれね。めっちゃ馴染みの寺だった。今度行ってみよう。



聖徳太子が眠るとされる叡福寺北古墳(磯長墓)。
聖徳太子の実在は疑われてますが、それに相当する厩戸王がいたのは多分事実。ここに眠るのは厩戸王に違いない。それか既に尸解仙になってもぬけの殻かもしれないけど、宮内庁がある限り真相は不明。



夢殿風の六角形の経蔵。聖徳太子ゆかりの寺ならでは。



その横はため池みたいになってるんですが、看板がめちゃくちゃ怖い。墓の横にこんな物騒な池あったら太子もおちおち寝てられない。



桜が咲き誇る境内。人気もなく静かで落ち着くんですが、いかんせん晴れ過ぎて暑い。
まだ3月なのにこの日差しか・・・


一しきり見て回って、門の所まで行ったら道路を挟んで反対側にも寺が見えたので行ってみることに。



バス停にある飛び出し坊やも聖徳太子。ランドセル背負っててすごいほのぼの。
そういえば偉人系の飛び出し坊やって他に見た事ない。高知だったら坂本竜馬版とかあったりするんだろうか。



石段を登った先の西方院。日本最古の尼寺とも言われ、聖徳太子の死後に叡福寺の塔頭として創建された寺。

大きい寺ではないですが、灌仏会が近いのでちゃんと花御堂がありました。初めて見たかも。
アマチャを掛けて参拝。



山門から覗く叡福寺。細い川があるからか道路の部分だけちょっと下がっています。
叡福寺の周辺はちょっと整備されて電線も地下化されてるし、街並みも整備されてていい雰囲気。太子町は割と推せるな。

近くに蘇我馬子の墓があるらしいので住宅街の中をウロウロ。
しかし見つからない。GPSオンにして地図見ながら歩いてるのに目標地点付近は家の敷地。なんか車庫みたいなところに迷い込みかけるし。
不審過ぎて近所の人に見られたので、ついでに場所聞いたら15mぐらい先にありました。こりゃ失礼。



14:56

大きな椿の木の下にあります。道に面してるので普通に歩いてたら分かると思います。
一般に馬子の墓って言ったら石舞台古墳じゃないんか?と言いたいところですが、地元の人の間で代々ここが馬子の墓だと言われているとのこと。
文献によっては小野妹子の墓と書かれてるものもあるらしく、いずれにせよこのあたり一帯が飛鳥時代から重要な場所であったことの証拠。



15:32

叡福寺を出て新興住宅街の中を歩いて上ノ太子駅前に到着。小さな駅前を高速の高架がぶち抜いてる独特の景観。
当初の予定ではここで歩き終える予定だったのでとりあえずゴールとなるはずだったけど、ぶっちゃけまだ早いのでもうちょっと歩くことに。とはいえこの先で次に一区切りつけられそうな河内国分駅まで3kmほど。
もうちょっと頑張って歩きましょう。



15:46

竹ノ内街道沿いにある役行者錫杖水。
名前の通り役行者が水を掘り当てた場所らしく水が湧いてるんですが、詳細不明。水も受けてるバケツが綺麗じゃないし。



ここにもある白玉大明神。左端の脳天大神ってすげえ名前だと思ったけど、文字通り頭に効くらしい。



15:53

「つきよみばし」という意味ありげな名前の橋。
周辺に柿本人麻呂の歌碑があるのみで、橋の名前についての案内板はなし。ここから見える山々から上る月が綺麗なのかもしれませんね。うお!HELLO 2020 JETが飛んでる!



羽曳野市域を抜けるまでは延々ブドウ畑が続く風景。羽曳野なんて個人的には毎年1回プラレ広げに来るイメージしかないけどこんな名物があったとは。
そういや変な紫色のゆるキャラみたいなのが会場に描かれてた気がしなくもない。

峠を越えて柏原市に入ると急に果樹園は消えて住宅街に。
ここまで来ればゴールはあと少し。後で難波行くことを考えてJRの高井田駅を終点としておきます。



16:39

河内国分駅前。ライフでちょっとおやつと飲み物を補給。
大阪京都近辺だとどこにでもあるライフ、なんか好きです。安いし。神戸にも実はいっぱいある。でも近所にはないのがライフ。

すっかり街の風景になり、目の前の大和川を越えれば柏原駅です。
夕日を浴びながら人通りの多い橋を北へ。いつもそうだけど、周りを歩く近所の人々の日常の間を1日かけて10km先の山奥から歩いてきた自分が歩いてると思うとなかなか感慨深いものがある。



16:45

これが本当のゴール、高井田駅に到着です。お疲れ様でした。
でも歩行時間は6時間、歩行距離も15kmもないぐらいだからそんなでもなかった。

この後難波に行って買い物して帰宅。日本橋行くならJR難波よりも新今宮の方が絶対近い。

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